“Not Dead Yet”

久しぶりに映画館に行ってきた。

 “Jason Becker:Not Dead Yet” を観る為に。


作曲・ギター演奏それぞれに於ける音楽的資質で

素晴らしい活動を始めていた矢先、

“ALS”(筋萎縮性側索硬化症)という、

知性・記憶・五感等には何の異常もない中、

脳や神経からの命令が筋肉に伝わらなくなる

(簡単に言うと、頭・心はそのままで体だけが動かなくなっていく)

という難病になったジェイソンのドキュメンタリー映画。


ジェイソンの音楽は彼が病気になる前から心打たれていて、

一方、ALSは業務上(2014年当時)日常的に接する病気だった。

(業務上の関係者にジェイソンのCDを渡したことも・・・職業倫理上NGだけど:汗) 


ジェイソンの音楽的美点の一つは、類い稀な旋律作りの才。

一般に、旋律(メロディー)を二種類に分ける時、

「人の声で歌うのに向いている」タイプ(声楽旋律)

 (→それぞれの音の隔たりや長さが歌えるようなもの)

「楽器で弾くのに向いている」タイプ(器楽旋律)

 (→人の声の制約がなく楽器で弾ける限りは何でもアリ) 

という区別をされることがあるが、

ジェイソンの旋律は、この二者が絶妙にブレンドされている。

映画の中で、生活上多くの動作にて介助を要するジェイソンの

作曲風景があって、意思伝達装置を用い一つ一つの音を

コンピューターに入力して・・・という場面なのだが、

そこで聴ける旋律は、正にジェイソン!

物理的には歌うのは難しいであろう音の流れでありながら、

そこに聴こえるのは、“歌”以外の何者でもない。


また、今やお茶の間で“ガイジン・ギタリスト”として

名を馳せているマーティ・フリードマンさんは、

ジェイソンとバンドのパートナー(ツインギターの片割れ)だった。

マーティの素晴らしいギター演奏(唯一無比!)や、

独特な感性での音楽批評に感心しながらも、

マーティを見ると、私はいつもジェイソンのことを思い出していた。

彼ら二人は、単なるバンドメイトではなく

血の繋がりを超えた兄弟のような間柄。

それは、ジェイソンの病気の前でも後でも。

マーティが日本に住む前から、Burrn!誌でコラムを書いていて、

時折、ジェイソンの様子が報告されていた。

そんなマーティは、この映画を 

「見て、可哀想、って思う映画ではない。

 泣いて、笑って、鳥肌が立って、インスパイアされる」 映画、

だと言っていた。 ホント、そう思う。

・・・思うけれど、やはり、やりきれなくて泣いてしまった。


美しさ、って何だろうって思う。

目に見えるもの、耳に聞こえるもの、心に伝わるもの・・・

それらはきっと色々あって、何か一つにはまとめられっこない。

でも、ありきたりだが、与えられた環境の中で精一杯生きる姿は

やはり「美しい」と言って然るべきものなんだと思う。

映画で見れたジェイソンは、彼の音楽同様、美しかった。

そして、その美しさは、病気とか音楽を超えたところにある、

生きることそのもの、の美しさだとも思った。


(2015年1/4記)

※2019年2/6追記
こんなカバーも!



岩橋 信之 nobuyuki iwahashi

音楽好き。 生ギターで自作曲を独奏したり、 その他の楽器で色んな人と演奏したり。

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