自分メモ。
外国も国内も、あまりに非道非情な出来事ばかり。
一方で、私個人の生活は目眩がするくらい恵まれていた一年だった。
だからなのか、今は会っていない人や場所や関わりのことを、強く思い出してもいた。
そんな年の瀬に印象に残っている、ラジオと本と曲。
⚫︎「それは、光の加減でしかない」
何度も聴き返した、キョンキョンのラジオに川上未映子が出ていた回。
「人は弱い状態で生まれ、また弱い状態になって死んでゆく。
強いということの価値は、大きなものではない。何かの恵みで、
“今、自分にはチカラがある”と感じたとしても、
それは光の加減でしかない。弱いままで生きていけること、
ハンディキャップがあっても楽しく生きていけることが社会のベースにあるべき」
…これって、糸賀一雄が福祉の思想で言っていたことと基本的に同じ話。
その時から何も変わっていない(進んでいない)、という人もいるだろうけど、
このラジオでも言ってる通り、僅かかも知れないが世の中は変わってきた。
たとえほんの少しだとしても、気づくことから何が変わってゆくことに、
人の命の時間の意味はあるのかも。
⚫︎<責任の生成>中動態と当事者研究 (國分功一郎、熊谷晋一郎)
言葉や思考のプロセスで、能動的・受動的、という分類は自然なこと、
デフォルト的に捉えられているかも、だけど、
例えば「恋に落ちる」は、能動?受動?…明確にどちらか一方とは言えないのでは。
能動・受動、の区分けがデフォルト的になったのは、欧米等では歴史的には
最近の話(現在でも能動・受動に組み込めない“あわい”を拾う言語体系の国はある)。
(その区分け以前に使われていたのが、中動態) では、
何故、能動・受動の区分けが支配的になったのか?
その行為を、「誰がしたか」が明確になれば、責任範囲が明確になる、
つまり、犯人探しがやり易くなる…と考えることが出来るからなのでは?と。
例えば、とある犯罪で、犯罪“者”を特定した時、その人のみに起因する出来事はどれだけあるのか。
生まれ育ち、生きてきた環境が、その人に多大な影響を与えていた場合、
行為のどこまでをその本人のみに責任が問えるのか。
…こういう困難さの原因の一つが、能動・受動という区分けから生じる、
意志や責任、という概念(の難しさ)なのでは、と読めた一冊。
⚫︎“Borderline”chris de b urgh
仕事での出来事。
私たち(団体職員と利用者家族)と、行政担当者との、キツい面談。
助成金を継続できるか否か、の話。
…ただ、この行政担当者、元は現場の人。志あって、行政側に。
役人や警察など、嫌われてしまいがちだが、
“誰かがやらないと社会が混乱してしまう仕事”というものがある。
自然な優しさだけでは、壊れてしまうものが世の中には沢山ある。
全ての職責者がそうとは思わないが、清濁合わせ飲んで、承知の上で、
嫌われ者を担う人たちがいる。 この行政担当者は、そういう人だった。
話し合いは結論は出ず、双方の主張は並行線。
その中で、担当者が思わず口にした言葉が忘れられない。
「私が、そちら側(私たちの側)に座っていたら、(私たちと)同じことを言うと思います」
立場は異なれど、気持ちは同じ。でも、それぞれの領域を踏み越えることは出来ない。
…トルストイか誰かが 「そもそも、土地も地球も、特定の個人や民族や国、
つまり“人間の”所有物ではない。それにも関わらず、土地の何処かに線を引いて、
“ここから先はオレのもの”と言い出した時から、不幸が始まった」
のようなことを言っていたのを思い出す。
どこかで線を引き、役割や立場をつくることで人の社会は成り立つけれど、
そうすることで不可避に生じる悲劇は大小問わず、無数あるのだろう。
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